人は誰でも、頭の中にアーモンドを二つ持っている。
それは、耳の裏側から頭の奥深くにかけてのどこかに、しっかりと埋め込まれている。
大きさも見た目もちょうどアーモンドみたいだ。
アーモンドという意味のラテン語や漢語から、「扁桃体」と呼ばれている。
このアーモンドの、どこかが壊れている。
医者たちが下した判断は、失感情症とも呼ばれるアレキシサイミアだった。
自分の感情をうまく表現できない。
それだけでなく、そもそも感じ取ることも苦手なのだ。
周りの人達がどうして笑うのか、泣くのかよくわからない。
喜びも悲しみも、愛も恐怖もほとんど感じられないのだ。
これは、ソン・ユンジェというそんな特性を持った少年の物語である。
他者と会話するということは、こういうこと。
相手の言葉に込められた「真の意味」だけではなく、それに返答するこちらの言葉に込められるべき「望ましい意図」をも含んだ言葉のキャッチボールが必要であるということ。
幼児のような、言葉の裏に何の他意もないシンプルストレートな言葉の使い方は微笑ましい。
大人の世界に疲れてくると、あの頃の無垢な世界に浸りたいと思う時がある。
が、時に裏がないゆえに鋭利に刺さってくることも認識しておかなきゃいけない。
怪我をする。
言葉とは。感情とは。
あるべきもの。
なくなってしまえばいいもの。
全て揃っている方が実は不自由かもしれない。
人が持つ共感とはなにか。
感情を持つがゆえの、愛のない行動。
感情を持ち合わせないがゆえの、行動が実は愛のかたまりだった。
7割読み終えたところで、ふむふむ。くらいだったが、そこからが凄まじい。
人間の持つ感情って、こういうことなのね。
感情があるのに、共感するということにあえて蓋をする行動。
なるほど。
こんな風に捉えることができるんだ。と、とても感動し考えさせられ、感情があるとはどういうことか。
ないのが幸せなのか、あるのがはたして、、、。
著者の筆致力が凄まじくて、読み応えがありすぎる。
そんな作品はいつも中盤で思う。
読み切ってしまうのがもったいない。終わらせたくない、と。
案の定、読了した後は、あぁぁ終わってしまった・・・。もっと浸りたい。となった。
母の愛、祖母の愛、父の愛、友の愛、愛を知らぬはずの少年が会得したものとは。
一貫してテーマは「愛」であるが、ほっこりできるわけでもなく。
むしろラストは目からしょっぱいものが知らず知らずに流れる。
流れてほしい、これを読んだ人には。
人間の根本的な大切なものを、持ち合わせていないという設定だからこそ深く掘り下げて書かれている。
人と人とのつながりが薄くなっているこの時代に、必要な物語であるとウルウルしながら思うのである。
それぞれの生き方に乗れて、思うところ数多あるが。
あぁ人間の世界ってほんと修行だなとつくづく感ながら、事実、この小説はとてもおもしろかった。
2020年度本屋大賞翻訳部門第一位。納得です。
『アーモンド』著 ソン・ウォンピョン
これの次に書いた『三十の反撃』もぜひ読みたい。