小さいころ、家には犬がいた。
シベリアンハスキーを数匹と柴犬1匹。
親が飼っていた。
私は飼いたいと一度も言ったことはない。
気づいたら家には犬がいた。
だから、私は世話をしていない。
親が世話をしているのを横目に見ていた。
どうして、飼ったのだろう。
どうして、命を預かったのだろう。
月日が経ち、私は自立し家を出た。
他の子たちの最期の記憶はないから知らないけど。
そのうちの1匹だけ、親が最期まで看取らなかった子がいる。
仕事が変わり忙しくなって、住む場所が変わった。
犬は実家に。
親は仕事場の二階に住んだ。
実家にはほぼ誰もいず。
世話をする人間はいない。
犬はひとりぼっちになった。
親は仕事が忙しい。
私から言わせればそんなことは、何の理由にもならない。
命を預かる覚悟ってそんなことじゃないでしょ。
犬を飼ったなら、命が終わるその日まで世話をしてほしかった。
結局、時々様子を見に来る世話の仕方の末、寂しくその犬は亡くなった。
その姿が焼き付いているからこそ。
私は犬を飼わない。
娘は、飼いたいという。
なにもわかっていないからね。
純粋な好奇心の小学4年生。
周りの子が飼っていたら、そんなこともいうよね。
でもあなたは大きくなって、社会に旅立つとき誰がその子の世話をするの?
飼いたい。と簡単に言うから、飼うってこういうことだよと少しでもわかってほしくて、この本を読ませた。
『おかあさんのそばがすき 犬が教えてくれた大切なこと』 著 今西乃子
何度も何度も繰り返し読んでいた。
そして、ママぎゅーーーして。って言ってきた。
犬を飼うって、大変なんだよ。
命ってそういうことだよ。
まずは、めいいっぱい娘を抱きしめて。
「夕飯なににする?一緒につくろっか。」
二人で台所に立ちました。
そういう時間に、いろいろ話すものです。
犬が飼いたいなら、大きくなって自分で飼いなさい。
そう伝えました。