我が家の隣人の話をしよう。
彼はいつも部屋にこもっている。
どうやって生計を立てているのだろう。
ネットさえあれば、今の時代稼げるジャンルはあるだろうが、不思議である。
いかんせん、犬の散歩に出たりも、運動に出る姿も見かけない。
聞こえる音といえば、飼い犬が時々キャンキャン鳴いている声ぐらいなもの。
そう。隣に住んでいても、わたしは彼のことを何も知らない。
時々、地域の溝掃除で顔を合わせるだけだ。
溝掃除があるから、顔を知っている。
物理的に隣という近さなのに、何も知らないし、知りようがない。
多様性という言葉が一人歩きし始めてから、言葉の持つ意味が変わってきてると思う。
メディアでは、LGBTQを取り上げて、それこそが多様性だと声高に叫んでいる。
受け入れていこう、認めていこう、いろんな人がいて当たり前なんだから、の精神。
朝井リョウ氏は、こう言う。
LGBTQは、マイノリティの中のマジョリティである、と。
多様性という言葉のほんの一握りの括りが、LGBTQであるだけで、私たちが想像だにしない、し得ないこと、モノがこの世には山ほどある。
たとえば、性的な対象となるものが人ではなく、風船であったり、ラバー(革)であったりする人達がいるという。
本当に、え?まさか、そうなの?っていう物が対象となるらしい。
物、もしくはそれの形態、動き等々。
そういえば、以前メルカリに未使用靴下を出したところ、こんなコメントが来た。
1ヶ月その靴下を履き続けてください。洗濯は絶対にしないでください。
真っ黒になったその靴下を買いたいです、と。
ギョッとして気持ち悪いと思ったけど、実際こういうことなのかもしれない。
想像力を働かせよ、とよく言うが、こればかりは知らないと、想像しうる内側の情報がないものだから、想像ができない。
そういう意味で、『正欲』は多少なりとも啓発された一冊であった。
この世界の隣にいる人は、実は私の想像すらし得ない何かをいくつも秘めている。
それが当たり前であり、それこそがこの世界である、と。
ハッとさせられて、世界が広がった感じのする小説に出会えたのは、久しぶりで。
そういった意味で、この『正欲』はおススメである。